Self-Portrait
起伏に富んだ山奥で生まれたので、そういう所が好き。
ホントは海辺もいいのだけど、今は比較的アップダウンが多い郊外の街に住んでる。
樹木に囲まれてるおかげで真夏でもほとんどクーラーを使わなくていい場所。
感情の起伏は激しい方。けど基本は内気。
でも人からは、あなたはABかBね、という意味のないことを言われる。
実はA型だけど。
これが性格、なんて一意的に決められるはずはない。
違った人に対している時、そこで次々に現れてくるものは、
例えばAさんとの時は大胆だったり、
Bさんの時は臆病だったり。
だから自分でもドキッとするくらい違う自分が出現する。
それが面白い。
一貫性とか個性的とか主体的とかって言葉を、だから信用しない。
ずっと周囲の人に合わせ、状況に応じて何とか生きてきた。
自分で言うのは日本語だと恥ずかしいので、むしろ ” vulnerability " が問題だった。
貫いてきた自分なんてどこにもない。
でも過去の嫌だった人、耐え難かった出来事が、全て自分の中でプラスになっている。
これはお手軽な積極思考とかじゃ決してない。
なんとなく結果的にそうなった。
選択権なんてこっちになかったし。
たまたま生き残ったアメーバみたいなものだ。これからだって分からないし。
今この瞬間を大事に愉しむしかないって思ってる。
そう、アメーバみたいに自分が分裂して子供が出来ればうれしいけど。
幸福は意思の問題っていうアランの言葉が今のわたしの実感だな。
環境でも家族でも配偶者でもない。
結局はその時々の可変な ”わたし” で
それでいい。
クリスチャンの端くれではあるので、主の恵みってことも大事だけど。
そんな付け足しみたいに書いても神様は笑って許してくれると思う。
たぶん。