MA memo

日々の記憶を忘れないうちに。

新たな出発

ようやく次の仕事が決まった。そして配偶者は西へ..変化って一度におしよせるものだ。でも変わらないものって何だろう?毎年の桜、体重etc..

 

握ろうとしないこと。掴もうとすればするほど、大事なものは遠ざかって行く。

猫と一緒で、無関心を装う横眼づかいで丁度いい。

 

この瞬間を愉しむこと。

前途遼遠

果報は寝て待て。これはたぶん脳天気でいいよ、って意味ではない。

意外に深い意味があると思う。

唯じっと待っていたら、苛々して早く結果を知りたくて、たぶん墓穴を掘ることになる。

ボンヤリ寝てしまえるくらいの余裕があればどんなことにも耐えられるし、

全てが良き知らせになるよ、っていう自戒を促すものなのだと。

現在、私は職を失って色々模索中。だからこそ、果報は寝て待て。現実にはとても難しいけど。

 

 

嵐を呼ぶ…

2011年の3月3日に日帰りの予定で札幌に行った。でも大雪で空港が閉鎖になり、日帰り出来ず一泊せざるを得なくなった。しかも、熱があったのに行ったので帰ってから数日寝込んだし。まあ、この1週間後の震災を思えば、そんなことは大した話ではなかったけど…。

でもどうして大事な時には大風が吹いたり、吹雪になったり、台風にあったりするのだろう。

人間の予定や計画なんて、許されなければ何一つ実現しないという戒め?不思議な冒険はずっと続いている。会えないときはどうしたって会えないはず。偶然はたぶん必然的な何かなのだと思う。

台風の湯河原

こんな台風の日に思い出すのは、湯河原の石葉に泊まった時のこと。

湯河原は箱根や熱海に比べて地味で静かな所だが、昔から行ってみたかった場所。

部屋は離れの観月庵。名前のとおり月見台のある気持ちの良い部屋だった。

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着いて明日葉茶と一緒に出された金つばがとても美味しかった。

小梅堂という地元の老舗のお菓子屋さんのものだという。

お料理は見た目の派手さはないけれど、丁寧に作られた奇をてらったところのないとても美味しいものだった。秋上がりの初亀というお酒と一緒に頂いた。

二人ともあまり飲めないので一合で酔っ払ってしまった。

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二人で泊まる時はいつも何故か不思議な天気になってしまう。

最初は大嵐、二度目は大雪、湯河原ではその年最強の台風。

『観月庵だから月が見えるといいね』と楽しみにしていたのに、着いた時から雨が降り出して観月庵どころか観雨庵になってしまった。 

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雷も鳴り始めて近づいてくる台風が少し怖かったけれど、降り続く雨と風がとても不思議で印象深い景色を見せてくれた。

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お世話をしてくれた仲居さんはとても可愛らしくて、控えめだけどよく気のつく方だった。

満室だったようなのに他の宿泊客の気配がほとんどなく、とても静かで落ち着いた贅沢な時間を過ごせた。

 

またいつか行けるだろうか。

普段倹約しているからこその静かな豪遊。

いつも晴れやかな青空ばかりの人生ならたぶん感謝はない。

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秋晴れ、そして日曜日の朝

自分の為に書くのか、誰かを想定して書くのか。

何を書きたいのか、何が目的なのか。

そもそも書くべきことがあるのか。

 

たまにはそういう分析とか図式化とかは必要だろう。

でもやはりそういうのは苦手だ。

 

確かなのは自分が今ここに存在していることだけなのだし、

朝ごはんがいつも通り美味しかったら、何の不足もない。

 

食べて寝てたまにはaventureがあって、その繰り返し。

退屈と思うか、そうでないかがカギではあるが、

易しくてとても難しい課題だ。

 

安易な人生論をバカにしない、そして信じない。

それでいい。

 

 

納骨式

久々の秋晴れ。湿度も低い。昨夜の雷雨が嘘のよう。

夏は中途半端に去ってしまった。

 

今日は母の納骨式。骨の破片たちはもう物質だから

象徴的な意味しかないのだけど。

いつか自分も収まる場所。

 

核家族の寂しさは記憶の共有が途絶えてしまうことだ。

学生だった頃の、今が一番家族皆で楽しい時間なのかも

という未来からの囁きに慄然とした記憶。

 

家族の記憶を持っているのは後は唯一人の妹だけ。

古い写真は処分した。

 

 

夜明け前

ずっと前、静岡のつま恋に泊まった時

夜明け前に目が覚めた。

 

だだっぴろい施設だったので散歩に出た。

三十分位歩いたらプールの側に来た。

 

当然開いているはずもなく、柵を乗り越えた。

ちょっと危険だったけど、服を脱いで全裸で泳いでみた。

 

ヘビの子供がくねくね泳いできたけど気持ちが良かった。

全裸で泳いだのは後にも先にもこの時だけ。

 

直ぐにTシャツと短パンを穿いてまた歩くうちにすぐ乾いた。

夏に抱かれた気がした。